三内丸山遺跡(青森県青森市)
- koukobiyori
- 2010年1月22日
- 読了時間: 6分
三内丸山(さんないまるやま)遺跡は、青森県青森市にある縄文時代前期~中期(約5500~4000年前)にかけての集落遺跡。1992年から始まった発掘調査で新発見が相次ぎ、縄文時代の豊かな暮らしぶりが明らかになった、縄文時代を代表する遺跡です。

初めて訪ねたのは学生の頃で、まだあちこちで発掘が行われている最中でした。出土した遺物はプレハブの資料室に飾られてはいたものの、現場の作業員さんが休憩する小屋を転用した感じで、雑然としていました。2回目は社会人になってすぐ。遺跡内はずいぶんと整備が進み、資料室の展示内容も充実してきていました。その後、2002年にエントランス施設である「縄文時遊館」ができたと聞いて以来、再訪を待ちわびていました。「どんな風に変わったんだろう」と、ワクワクしながら青森へと向かったのでした。
●なぜ三内丸山遺跡はスゴイのか
一昔前まで、縄文時代といえば「動物や魚を捕り木の実などを採集したりして、簡単な煮炊きをしながら、転々と住まいを替える生活」であり、縄文人は「弓矢や鎗を持って野山を駆けめぐっている」というようなイメージだったと思います。
ところが三内丸山遺跡の縄文人たちは1500年間もこの地に定住し、数多くの住居を造り、クリやマメ類、エゴマ、ゴボウ、ヒョウタンを栽培し、エゾニワトコやヤマブドウなどを発酵させた果実酒を作り、山菜などを採集して暮らしていました。肉はムササビやウサギ、魚はマダイ、ブリ、サバ、ヒラメ、ニシン、サメ、毒のあるフグも食していたとか。森と海の恵みをバランス良く取り、年間を通じて安定した生活を送っていた様子がうかがえます。というか、かなり恵まれた暮らしぶり。ちょっとうらやましいくらい(笑)。

さらに集会や祭祀に用いたと考えられる大型建物を建造したり、舟を使った交易によりヒスイやコハク、黒曜石、アスファルトなどを入手し、漆塗りの食器や玉を使ったアクセサリー、ポシェットなどの工芸品を作ったりして、物質的・精神的にも豊かな生活を送っていたのです。自然と共生し、その恩恵に感謝と祈りを捧げつつ、高度な生活レベルを保っていたバランスの良さは、縄文時代のイメージを一新させる発見でした。
その日本最大級の規模と内容から、2000年には国の特別史跡に指定されています。縄文遺跡としては長野県尖石遺跡、秋田県大湯環状列石に続く、44年ぶり3番目の指定となっています。
●広々とした遺跡で縄文世界を満喫
現在遺跡は都市公園として整備されており、本物の遺構に覆い屋を被せた保存ドームや、復元建物が点在しています。集落内は住居や倉庫、大人の墓、子供の墓、ゴミ捨て場、道路などがきちんと区画分けされており、今でいえばニュータウンのような快適なムラだったよう。


復元された大型竪穴住居と大型掘立柱建物は、遠くからでも一目でわかる大きさで、遺跡のシンボル的存在になっています。三内丸山遺跡では10m以上の大型竪穴住居跡が10数棟発掘されており、ムラ全体の共同作業所や集会場、冬期の共同家屋と推測されています。復元された住居は幅が10m、長さは32mにもなり、三内丸山遺跡で最大のもの。その隣には大型掘立柱建物が、6本の太い柱を空に向かって延ばしています。祭祀施設か見張り台、集会場ではないかといわれているようです。
西側にある保存ドームには本物の柱跡が!地下水が豊富だったことと、柱の底や周囲を焼いて防腐処理してあったため、1mもの太さのクリの柱根がそのまま残っていたんです。4.2m間隔で柱は建てられており、これだけの大型建物を建てることができた縄文人の建築技術には驚くばかり。

また1000年近くも廃棄物を棄て続けたせいで、小山のようになった南・北盛土も見どころ。大量の土器や石器、土木工事で出た残土などのほか、土偶やヒスイ玉なども見つかり、単なるゴミ捨て場ではなく、そこから再生を願う祈りの場でもあったと考えられているのです。保存ドームでは一面に敷きつめられた土器の破片や地層の断面を見ることもできます。
●楽しく学べる縄文時遊館
遺跡入口に建つ「縄文時遊館」には、三内丸山遺跡のガイド映像が流れるシアターや、見て触れて感じながら縄文人の暮らしや環境を学べるギャラリー、まが玉やミニ土偶を作れる体験工房、レストランなどがあります。ここで予備知識をつけてから遺跡散策に繰り出すことができ、親しみやすい展示が魅力。
以前訪れた時には無かった施設だけに、私の興味はここに集中。ギャラリーで縄文ファッションに挑戦したり、縄文語のクイズに答えたり、体験工房でコハクを使ってまが玉作りに挑戦したりして、思いっきり縄文時代にひたりました。「みんなが歴史にもっと興味をもってくれたらいいのに…」と願う私にとって、体感しながら楽しく学べる展示はとてもうれしいのです♪

昼食は『れすとらん 五千年の星』で「五千年の星御膳」を味わいました。シカの刺身やホタテ・クリ・クルミなどの焼物、クリ・山菜・ホタテが入った赤米の縄文古代飯などがセットになっていて、三内丸山の人々の食文化を満喫できます。ほかにも遺跡にちなんだ発掘丼や、青森の味覚を盛り込んだメニューなどがあって、目移りして大変。
また30分~1時間ごとに、縄文時遊館からボランティアガイドの遺跡案内ツアーが出発しています。所用1時間ほどかけて遺跡を案内するもので、発掘時の様子などを交えて説明をしてくれます。私が参加したツアーのガイドさんは発掘にも参加したことのある方で、発掘時の写真なども見せてくれました。型どおりではなく、それぞれのガイドさんが、遺跡を愛し工夫を凝らして説明してくれる姿が微笑ましかったです。

じっくり本物の遺物を見たい人は遺跡内にある「展示室」へ。土器や土偶、骨角器、アクセサリーなどの多彩な出土物が数多く展示されています。ハイテクを駆使した展示で楽しく学ぶのもいいけど、やっぱり本物が放つ迫力も素晴らしい!縄文土器の大胆かつ繊細な文様や、縄文ポシェットの精巧な編み目などをじっくりと観察することができます。眼福。
帰りのバスを待っていたら、地元のご婦人が「観光ですか?」と話しかけてきてくださいました。そうだと答えると、「わざわざ遠いところ、ありがとうございます。私はね、夏休みに孫たちが遊びに来るから、ここに連れてきてあげようと思って事前勉強(笑)。自分たちの住んでいる町にこれほど立派なものが埋まっていたなんて、本当にびっくりしたもんですよ。でも宝物として大事にしていきたいと思ってるんです」
なによりも地元の人に愛される遺跡、三内丸山遺跡。これからも大切に縄文文化を伝えていって欲しいと思いました。
追記:この記事は2010年に書いたものですが、その後も三内丸山遺跡とのご縁は続き、2025年現在で11回訪問しています。これからも、何度だって訪ねたい遺跡です。
訪問日 :2005年11月
アップ日:2010年1月22日
*JTB「旅のモデルプラン」掲載原稿に一部加筆


