燕市産業史料館(新潟県燕市)
- koukobiyori
- 2016年2月4日
- 読了時間: 5分
更新日:9月15日
洋食器の街として全国に知られる燕市は職人の宝庫。様々な技を訪ねる散策は、日本を支えるパワーに触れるひとときです。まずは歴史を学びに、燕市産業史料館を訪ねました。

「燕」というまち
新潟県中部に位置する人口8万の燕市は、ワールドワイドにその名を知られる洋食器のまち。今回訪ねるまで燕のイメージといえば、大きな工場が立ち並び、多くの工員さんが毎日信じられないほどの数のスプーンを作っている…、そう思っていました。
ところが今回の旅の案内をしていただいた、燕市産業観光ナビゲーター・五百川さんのお話によると、従業員が10名以下の小規模事業者が9割近くを占めるといい、60歳以上の方が3名以下でやっているような小さな小さな工場も少なくないのだそう。それでいて金属洋食器の全国シェア90%を占め、さらには海外からの注文も多く、金属加工の最終工程である「磨き」ではアップル社の依頼によりipodの背面カバーの鏡面磨きを一手に引き受けたという、技術と品質の高さ!
あぁ…こだわりの職人さんがたっくさんいそうな気配です。。。
そのうえ、新潟県は京都府に次いで伝統工芸品の数が多く13産地16品もあり、燕には「燕鎚起銅器」と「三条仏壇」の技が遺されているとのこと。また、 100年以上続く老舗の数も全国5位だとか! こつこつと物を作り、後世に繋いでいくのは、新潟県のみなさんの県民性なのでしょうか?
古いもの、歴史のあるものが大好きな私は、
「今まで知らなかったけど、もしかして新潟、すごく好きかも!」
新潟県の魅力の奥深さを知り、ドキドキと胸を高鳴らせて旅は始まりました。
燕市産業史料館
前のめり気味に逸る気持ちで訪ねたのが、燕市産業史料館。「燕」愛にあふれる学芸員の齋藤優介さんに、燕の産業の歴史を紹介する本館と日本一のコレクションを誇る矢立煙管館、金属洋食器をメインにした新館をご案内いただきました。

燕のものづくりの原点は、江戸時代初頭から約400年の歴史を持つ「和釘」です。
かつて信濃川は度々氾濫をおこし、このあたりは湿地帯が広がり「米どころ」どころではなかったのだそう。そこで代官所が江戸から和釘職人を呼び寄せ、農民の冬仕事として奨励しました。当時江戸では火事や地震が多く、その度に燕の和釘の需要が高まり、一大産地として成長していきました。江戸城の修復にも燕の和釘が使われたといいます。

齋藤さんによると「燕は“用の美”」。日用品であるがゆえに遺らないさだめの傑作ばかり。その時々の職人が技を駆使して工夫を凝らし、人々はそれを大切に愛着を持って使い尽くす…。燕で作られてきたものは、ここのところ流行の、「大好きなものだけを身の回りにおいてミニマルに暮らす」的な感覚にぴったりかもしれません。

展示室は、職人が働いていた場所を作業場の土からそのまま保存展示してあります。製品はもちろん、それを作る道具類も残らないことが多いそうなので、こちらでは作業場をまるごと残す工夫をしています。今さっきまでそこで職人さんが働いていたような空気感があり、活きた技であることが伝わってきます。こうした展示、素晴らしいと思いました。和釘作りで培った技は、キセル→やすり→鎚起銅器と脈々と継がれ、今も燕の産業を支えています。

燕でキセル作りが始まったのは江戸中期頃。会津若松と江戸のふたつの流派の技術が伝わり、お互いが切磋琢磨しあいながら技術を進歩させていきました。大正時代に入ると金型を用いた量産体制が整い、燕は日本一の生産地となります。最盛期の昭和初期には1日6万本も作られ、全国生産の9割を占めたといいます。しかし戦争や紙巻煙草の影響により衰退し、現在では燕のキセル職人はただ一人だそうです。

矢立煙管館は、燕市出身の丸山清次郎氏(ウインドミル株式会社創始者)が収集した江戸から明治にかけての煙管と矢立のコレクションからなります。上流階級から武士・町人に至るまで、煙管は粋のみせどころ。すべてオーダーメイドが基本で、なかには年収2年分もするような高価なものもあったそう。キセルを展示品として見るのは初めてでしたが、これだけまとまった数を見比べ、その独特のシルエットや細かな細工を眺めていると、なんとなく自分の好みが見えて きます。
彫金の見事なものが明治時代初期に多いのは、大名お抱えの刀職人が、廃刀令により職を失い、キセル作りに流れて来たから。キセルの彫金師は名が残らないそうですが、名を残すことが第一義ではない職人たちの確かな技が刻まれていました。
新館は金属洋食器がメイン展示で、文明開化以降の食文化の変遷に沿って、洋食器の発展を学ぶことができます。燕のカトラリーの歴史は、明治44年に東京・銀 座の輸入商である十一屋商店さんの注文を受けたことにはじまります。36人分の銀食器の注文に、東京の職人は対応することができなかったといい、燕の技術がすでに広く知られていたことがわかります。第一次世界大戦中には、輸入商を通じてヨーロッパ諸国からの注文を受け、1日2000本ペースでスプーンとフォークを製造したとか。驚きです!

関東大震災による需要の急増や機械化による技術発展を経て、いまでは世界に通じるTUBAMEブランドのカトラリーになりました。例えば、カレーの元祖「横須賀海軍カレー」を食べたのも、ノーベル賞授賞式の晩餐会で用いられるのも、すべて燕のカトラリー! どんなシーンにもあう、多種多様なカトラリーが作られています。



最奥の展示室にある、伊藤豊成氏のスプーンのコレクションも見事なもの。世界の珍品など約5000点が飾られています。紀元前エジプトか古代中国のものから、民族色豊かなもの、中世ヨーロッパの豪華なものなど、さまざまな形状と細工のスプーンを紹介しています。
それほど大きな博物館ではありませんが一級の歴史史料が展示され、とても充実したひとときを過ごすことができました。とはいえ、ふだんあまり馴染みの無い工芸ばかりなので、「興味がある」「しっかり学びたい」という方は、音声ガイドやボランティアガイドさんを利用すると良いかも。
産業が息づく燕を旅するなら、まず一番に訪ねて、基礎知識をつけることをオススメします!
住 所 新潟県燕市大曲4330-1
電 話 0256-63-7666
営業時間 9:00〜16:30(入館は閉館の30分前まで)
休 み 月曜(祝日の場合翌日)、祝日の翌日、年末年始
入館料金 高校生以上300円、子供100円
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元記事 :「和を知るミチシルベ」
アップ日:2016年2月4日


